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紀伊半島を襲った台風12号で被災された方々には心よりお見舞いもうしあげます。


私の実家が和歌山県田辺市本宮町にありまして、先週土曜日の夜から連絡が取れず生死も不明なため6日現地まで行ってきました。


幸いなのか弟が先週から東京に出張しておりまして実家に帰る事ができず名古屋で足止めを食っているところを土曜日に家まで来させて待機と情報収集にあたらせていました。
日曜日になり被害が拡大しているのは判っていましたがどうする事もできず電車はおろか道路も寸断されて弟も家に帰る事もできずパソコンばかり睨めっこ。
弟が建設関係の仕事をしているので、連絡の取れる友人や知人から情報を集めるもどれも有力な情報で無く、嫁と三人で「どうするかのう・・・」「待つしか無いか」とため息が出るばかり。

そんな中月曜日に新宮市まで進出していた幼馴染から「田辺市内から本宮町まで通れる道があるらしい」と教えてもらい急遽、弟に情報収集を指示。
職場には事情を説明し休暇を申請。(本当は大事な仕事が有ったのですが事情が事情なだけに理解してもらえました)

私が夜に帰宅した頃には弟は不通となった国道311号線の迂回路を聞き出し、ルートも確認していたところでした。
市役所からは「通れますが責任取れません」とのこと。

それは百も承知。
しかし俺達兄弟にとっては行かねばならない。

まずは運びこむ物資を調達に出かけて、飲料水や米・即席めん・電池を大量に購入。
万が一の事態に備えて、油圧ジャッキ・スコップ・鍬・牽引ロープ・雨合羽・軍手・タイヤがスタックした時に使う板・長靴・ヘッドライトにヘルメット・救急用品そして4着の作業着に着替えを用意しました。
元々私も弟も林道等の悪路を車で走るのが趣味なためそういう関係はいつも車の中に常備(だから荷物室はぎゅうぎゅう積め)
とにかく安全第一
勿論人様には迷惑をかけられん。

とはいえ弟がいるからできたもので一人じゃあ行けません。
新宮市に置いてある弟の車も同じような装備にノコギリも積んでいるんで多分大丈夫かな・・・
家の事を嫁に任せて行動開始。


計画としては
まずは新宮市に弟の車を置いているため、新宮市まで串本経由で行き、弟の車の回収と情報収集。
浸水で動かなかった場合は私の車で牽引し弟の会社か知り合いの家に落ち着くまで置いておく。
車に問題が無い場合は私の車と二台で行動して田辺市まで戻り、他に必要な物資を調達して本宮町に向かう。

万が一土砂崩れや冠水で通れなかった場合、田辺市まで戻り待機して状況が改善されなければ大阪まで撤退する。
てな感じ。

ホントはもっと詳しく決めていたのですが長くなるので・・・・・


朝4時半に出発して串本まで移動。
途中現地にいる友人と連絡を取ったり大阪や名古屋にいる友人に「本宮に行くので実家の安否確認をしてこようか?」と電話。
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道中交代しながら運転。しかし現地に近付くと道路の知っている弟が運転。
朝が早いためか車は少なめ。

串本で交流のある南紀くろしおさんと合い、ウオッシャー液として水道水を補給。
新宮周辺の情報や車が浸水した場合等も教えてもらいました。
ありがとうございました。m(__)m


串本までは災害等は感じられませんでしたが弟が古座町のあたりで「あ!砂浜にシカの死体が!」
私がふと増水した川を見ると流木等が引っかかった橋脚に茶色の塊が。
「おい。橋に引っかかっている茶色の塊はなんや?」弟は運転しているため前を見たまま「猪か鹿の死体やろ・・」
そして自衛隊の車輛とすれ違う度に「あれどこの部隊やった?」「信太山ちゃうか?」
てな感じで会話しながら被災地に近づいているんだと実感。


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那智勝浦町に入るが思ったより綺麗だなっと・・・・


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断水しているので給水車に並ぶ住民を見て「水持ってきて正解やな」「うん」



しかし
那智川を見て絶句
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泥だらけの道路。

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流された紀勢本線の鉄橋に崩れた護岸。
こんなのじゃ無かったのに・・・・・・静かな川だったのに・・・
友人宅で飲んでフラフラと歩いて見た光景は何処に・・・
バイパス道路から見る惨状はテレビで見る以上でした。


朝9時に新宮市に到着。
新宮市内は綺麗に片付いていましたが、所々に浸水の爪痕が・・・・
話によるとほぼ市内全域が浸水しており神倉山の麓や熊野川の近くが浸水が酷かったとのこと。
そういえば熊野地に住んでいる父親の知り合いは床下浸水で車2台動かなかったと連絡が。

とりあえず新宮市内や那智勝浦町の海沿いや携帯電話は通じました。

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弟の車は問題無し。
これで不安は一つ無くなった(^^)v

東牟婁振興局で国道168号線の状況を確認するも復旧の目途が無いとのこと。
増水で土砂が道路に大量に積まれていて通行できないとのことでした。(やはり田辺周りで行くしかないか)

すぐに弟の車を先頭に新宮市を出発。途中串本で食糧を調達して田辺市に3時間半で到着。(休憩時間は除いて)
行きは2時間半で行けたが車が多くなっていました。しかし情報より早く行けたほうかな。



田辺市より国道311号線に入り大塔村鮎川より迂回路へ。
しかし通行止めの看板は迂回路無しとの表示。行政の意図が判ります。(・_・;)

当初は片側1車線の広い道でしたが(とはいえ所々土砂崩れや洗い越しの場所は多かったですけど乗用車では徐行すれば問題無く通過できました)迂回路の後半はこんな道
ちなみに止まって撮影しています。そのため弟の車は見えなくなりました。
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う~ん・・・マンダム(意味不明)
これくらいの狭い道(ガードレール無し・カーブミラー無し・崖と絶壁の3点オプション付き)だけだったら余裕で走れるけど、それに土砂が被っていたり洗い越しの追加サービスが付いていたので少し神経を使いました。
それに運転しているのはストリームだし。


しかし辛かったのが・・・・・
対向車の多過ぎ!
普通こんな道はせいぜい多くても5台以下ですよ。
最初は対向車を数えていましたが20台ちょっとは覚えていました(余裕はまだ有った)

いつからだろ?数えんの辞めてた・・・・・それに対向車が待避所じゃない狭い所で止まっているもんだから
うわ~いタイヤが路肩からはみ出しているぅぅ\(◎o◎)/!
(実際は真剣に運転していましたけどね・・・・下は轟音を上げて川が流れているし)
軽自動車ならまだしも4トン車が来るし・・・・・(T_T)/~~~

そのうえ弟は先に行くし・・・・(あれ打ち合わせは?)



なんとか交通量の多い狭い険道は通過・・・・擦ったのはタイヤだけ
出口にあった道の駅で30分程白くなっていました。
(弟は先に行ったのは対向車に後続が来ると伝えて行ったためでした)

国道に戻っても所々で片側通行
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でもさっきに比べたら楽なもの。


そして本宮町内。
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言葉が出ない・・・・・

ただ・・・・ここが故郷なのか?

両親は大丈夫なのか?


そして両親が住む集落へ。
家行くと・・・・

あ・・・・よかった無事や・・・(T_T)
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「お~い!帰ったでぇぇ!」弟

いつも変わらない両親が

「なんや?来たんか?」親父
「連絡取れんさかい来たで。水と食料持ってきた」私
「ガソリンは無いか?」親父

む~(;一_一)ガソリンが必要だったとは・・・・・気付かんかった・・・
親父は町会長(地元では区長と言うだが)をしているので家々を周っていたらガソリンが尽きてきたとのこと。

とりあえず弟と母親が携行缶を持って私の車でガソリンを買いにいくことに。

帰ってくるまで親父と一緒に集落へ

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川沿いの家は1階の天井まで浸水。

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田圃や畑は全滅。

当初は公民館に避難したが公民館の近くまで川の水が近づいたため高台のお寺に避難したとのこと。
そのため怪我人も発生せず無事。

食糧は近所で分け合って生活していました。
有る程度備蓄があり、水も井戸や山からの湧水があるのでなんとか生活できてきたとのことでした。
しかし情報が無く他の被害を伝えると皆驚愕。
日曜日に水がひいてきたため村人総出で道路上の泥を撤去したとのこと。

とにかく住民の団結力が強いです。


安否を確認し明るいうちに家へ。
私は車で周辺を見に行きました。
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対岸に有った大きな岩は砕けていました。
昔はあそこで泳いだなあ・・・・

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集落に繋がる道の片方はこんな状況。
不通にならず良かった・・・・

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かつて通学に使った国道も・・・

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川湯温泉もまるでゴーストタウン

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確か広場が有ったはずだったが・・・・


午後6時くらいに食事をして早めに寝ることに。
そんな中7時くらいに電気・・・・

うお~電気がきたぁぁぁぁぁぁぁ
電気のありがたみを実感しました。


翌日早い時間に出発して、あの狭い道も難無く通過。
車が少なくて良かった。

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車はこんな感じに・・・・・
大阪に戻ったら皆見ていました。



今はかなり状況も良くなり連絡も取れるようになりました。
道路も迂回路ができ、あんな狭い道を通る必要も無くなり物資も届くようになりました。


しかし友人の一人は家が浸水し避難所暮らし。
もう一人は十津川村で職員として今も頑張っています。


故郷に帰って思ったことは、みんな元気だったこと。
そして浸水した人が言っていた事が「東北の人の事考えたら贅沢いわれへんで」

家が浸水しても元気で冗談を言い合いお互い助け合っているなあっと改めて認識。
そういえば昔台風で停電が続いて陸の孤島になった時もお互い食糧を融通しあっていたっけ。

大丈夫だろう・・きっと復活するはず。って絶対するわい!
そう思いながら大阪の自宅に無事帰宅。
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2011.09.07 / Top↑
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